広島高等裁判所岡山支部 昭和37年(ネ)99号 判決 1963年9月23日
控訴人 原告 梶谷忠二
訴訟代理人 板野尚志
被控訴人 被告 岡山県知事 岡山県社会保険審査官
訴訟代理人 森川憲明 外五名
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人岡山県知事が昭和三一年七月一七日なした、控訴人が健康保険法及び厚生年金保険法によりそれぞれの被保険者資格を昭和二九年五月一日取得したことを確認する旨の処分は無効であることを確認する。然らずとするもこれを取消す。被控訴人岡山県社会保険審査官が昭和三一年一〇月一八日なした、控訴人の前記処分に対する審査の請求は立たないものとする旨の決定は無効であることを確認する。然らずとするもこれを取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」との判決を求め、被控訴人等代理人は主文と同趣旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上ならびに法律上の主張、証拠の提出援用認否は、
控訴代理人において、
現在健康保険法の定める保険制度は講学上いわゆる労働者保険にあたるものであり、厚生年金保険法の定める保険制度は明文でその旨が明らかにされている(厚生年金保険法第一条)。もとより右のように労働者保険である故をもつて、健康保険法、厚生年金保険法の規律する対象が、労使の社会的対抗関係の稀薄な場であることまでも否定するものではない。しかしながらこれら法律は、労使の対抗関係を前提とする労働組合法、労働基準法、労働関係調整法等の制定と殆んど同時に改正または制定され、労働者災害補償保険法等とともに、労働者生活における労働者の地位を間接に強化する機能を果してきたものである。従つて労使の対抗関係の強い法域をもつ労働組合法、労働基準法にいわゆる労働者中に法人の代表者を含まないものと解し、他方労使の対抗関係の稀薄な法域をもつ健康保険法、厚生年金保険法にいわゆる「事業所に使用せられる者」に法人の代表者を含むものと解することは、まことに便宜的に過ぎる嫌がある。なるほどこれら保険制度は、被保険者の福利を目的としているけれども、その反面保険料の支払義務を課し、その負担を強いるものである。右の見地からみると、法人の代表者に被保険者資格ありとするためには、法律の明文をもつてこれを明らかにすべく、文理に反する目的論的解釈は許さない。そもそも労働者という概念は、企業者と労働者の実質的地位の不平等から生じた社会問題を契機とし、新しい角度から認められたものであつて、取引法にいわゆる商業使用人(企業補助者)と異なり、いわば社会化された人格概念であり、歴史的形成の所産である。従つて、たとえ中小企業と目される法人の代表者が経済的観点からみて被控訴人等主張のようにいわゆる労働者と異ならないとしても、これをもつて直ちに労働者という概念に包摂しえないものがある。以上の見地から健康保険法、厚生年金保険法にいう「使用せられる者」のなかに法人の代表者を含むとする見解は、法律解釈にあたつて一般に許容される限度を超えるものであると述べ、
証拠として労働省に対する調査嘱託の結果を援用したほか、原判決事実摘示と同一(ただし原判決九枚目表八行目の「形式的効果」は「形成的効果」の誤記と認めて訂正する。)であるからこれを引用する。
理由
当裁判所は控訴人の本訴各請求をいずれも失当として棄却すべきものと判断するが、その理由は原判決一三枚目表一三行目の「更に以下」からその裏一二行目までを削り次のとおり附加するほか、原判決がその理由において詳細説示するところと同一であるからこれを引用する。
「控訴人は、健康保険法第一三条、厚生年金保険法第九条で定める「事業所に使用せられる者」という概念が、労働基準法(以下単に労基法と呼称する。)上の「労働者」(同法第九条)、または労働者災害補償保険法(以下単に労災保険法と呼称する。)にいう補償を受けるべき「労働者」(同法第一五条)と同一であつて、これには法人の代表者を含むものでないと主張する。
労基法は、労使間の社会的対抗関係ならびにその実勢上の差異に着目してこれに法的規制を加え、もつて労働条件を適正化するとともに、労働者をして人たるに値する生活をさせるために制定されたものであつて、(労基法第一条)、この故に同法において「労働者」と「使用者」を截然と区別し、同法によつて保護を受くべき「労働者」の意義を明定しているのである。すなわち、同法第九条において、「労働者とは、職業の種類を問わず事業に使用される者で賃金を支払われる者をいう。」と、同法第一〇条において、「使用者とは、事業主又は事業の経営担当者その他その事業の労働者に関する事項について事業主のために行為をするすべての者をいう。」とそれぞれ規定されているのであつて、右の各規定に前記労基法制定の目的等を考え合わせると、同法第九条の「事業に使用される者」すなわち労働者とは、使用者の指揮命令を受けその監督のもとに、いわゆる使用従属関係のもとに労務に服している者を指称するものと解すべきであり、そして労基法第八章において、現実に労働生活に従事する労働者の災害補償として、労働者が業務上負傷し、または疾病にかかり、或いは死亡した場合、使用者はその費用で労働者のために必要な療養を行い、或いは労働者またはその遺族に一定の金額を支給しその災害を補償すべきことを規定しているが、右にいう労働者とは、同法第九条に定める「労働者」を意味していることが明らかである。
次に労災保険法は、特に労働者及び使用者の概念に関する規定を欠いているけれども、同法第一二条第二項において、同法による災害補償の事由は労基法第八章災害補償に関する規定中第七五条から第八〇条までに定める事由とする旨を規定し、労基法による災害補償とその補償の対象を同じくしているほか、労災保険法はもともと労基法上の使用者の災害補償義務を代行するために制定されたものであるという立法の目的からみると、労災保険法第一五条にいう「補償を受けるべき労働者」は労基法上の労働者の概念と同一であると解すべきである。
労基法はもとより、同法に定める業務上の災害補償義務を代行することを目的とする労災保険法は、いずれも憲法第二七条第二項の「勤労条件に関する基準は法律でこれを定める。」旨の規定に基づいて制定され、労使間に実勢上の差異がある労働関係において、現実に労働生活に従事する労働者につき、その労働条件として業務上の災害の補償を受けうべきことを法定し、労働者及びその遺族の生活の安定を期しているものであるところ、健康保険法は、保険者が被保険者もしくはその被扶養者の業務外の事由による疾病、負傷、死亡または分娩について保険給付を行うものであつて、労働生活に直接関係のない事項を災害補償の対象とし、厚生年金保険法は業務上業務外の区別なくひろく被保険者の老令、廃疾、死亡、または脱退の場合に、現実に労働生活に従事しない被保険者及びその遺族に保険給付を行うものである。右のとおり健康保険法、厚生年金保険法に定める保険給付はいずれも労基法、労災保険法に定める災害補償とその対象を異にし、専ら労働者及びその被扶養者または遺族の生活の安定を図り、福祉の向上に寄与することを目的としているのであつて、憲法第二五条の「一、すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。二、国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」という規定に基づき制定されたものと解すべく、「健康保険法、厚生年金保険法のもとにおいては労使間の実勢上の差異を考慮すべき必要がなく、右各法が定める「事業所に使用せられる者」のなかに法人の代表者をも含め、右代表者をして労基法及び労災保険法上の「労働者」と区別することなく、ともに右各法所定の保険制度を利用させることこそ、前記憲法の条項の趣旨にかなう所以であるから、右「事業所に使用せられる者」という概念をもつて、労基法、もしくは労災保険法上の「労働者」の概念と同一視する控訴人の主張は採用することができない。」
よつて原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法第八九条・第九五条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 柴原八一 裁判官 西内辰樹 裁判官 可部恒雄)